今日は、京都と京都人について等、旅行前にちょっと知っておくと、
より京都について理解が深まるんじゃないかと思って、私見を交えて書かせてもらいました。
世間では京都人って「いけず(いじわる)やわ~」とか「裏表のありそうな性格でわかりずらい」・・とか、散々に言われてるようです。
もっと強烈なのになると「京都は好きだけど京都人は嫌い!」ってはっきりおっしゃる方もおられます。
私は生まれは大阪、育ちは兵庫で、京都人では無いんですが、仕事や趣味などで京都と関わることが多く、京都人とも毎日のように接してますので、そんな話を聞くと「京都の人ってちょっと気の毒だな~」と思うことがしばしばあります。
京都はご存知のとおり100年ちょっと前までは都のあったところですよね。
都って言えば天皇さんがおられたってことです。
今は東京の皇居に移られていますが、京都人のご年配の方の中には
「天皇さんはちょっとお出かけされてるだけやから」
と思っておられる方も多いと聞きますね。
つまり、
「今は他所(東京)へ行ってはるけどそのうち戻ってきはりまっしゃろ」
ってな感じでしょうか。
「東京には遷都の勅が出されてないから」
と言うのがその根拠、理由のようです。
ちょっと強がっているようにも聞こえますけど、
京都人(特にお年寄り)の心の中に
「天皇さんが本来いてはるべき場所は京都どす」
というのがあるんでしょう。
くしくも平成31年は現在の天皇陛下が皇太子さまに譲位されて上皇さんにおなりにならはるようなお話・・。
上皇さんは京都の御所へお戻りになられるかも・・
と思っておられる京都人にとって、心が浮き立つ気分になられる方も
そこそこいらっしゃるんじゃないかと思いますね。
さすがに今の時代の方々はそんな風には思ってないでしょうけど・・。
さて、話題にあげた京都御所ですが、数年前までは春と秋の公開時期以外は
予約なしでは入れなかったんですけど、現在は予約なしに入ることができます。
できれば、大宮御所や仙洞御所、迎賓館等とともに訪れられると良いと思います。
(注、時間制の入れ替えで順番待ちになったり、行事などで入れないときもあるので事前にご確認ください)
さて、皆さんは「先の戦争」っていうことばを聞かれた場合、どの戦争のことを思い浮かべられますか?
「そんな愚問言うなや!」ってツッコミが入りそうですけど・・
京都人の有名な話の中に「先の戦争」っていう話題が出た場合は、
その言葉の意味する戦争とは「応仁の乱」のことだと言うのを耳にされたことはおありでしょうか。
「応仁の乱」っていつの話やねん!
っていうことですけど、西暦1400年代ぐらいの時代に起こった内乱ですから
約600年ぐらい前のことですかね~。
その「応仁の乱」は日本が東軍と西軍に分かれて京都を中心に騒乱が起こった・・いわば国内での戦争ですね。
蛇足ですが、そのとき、山名宗全率いる西軍が陣を張ったところが「西陣」でいまも地名として残ってますね。
そのあたりの産業で栄えたのが「西陣織」という織物です。
みなさんは京都の三大祭りの一つである「時代祭」って聞かれたことがあると思いますが、その行列の中に平安や鎌倉、戦国、江戸という時代行列があるんですが、室町時代の行列が最近まで無かったってご存知でしょうか?
ここ数年前になってはじめて行列に加えられるようになりましたけど、その理由は室町時代に勃発した「応仁の乱」に関係していると連想が働きますよね。
つまり、それぐらい忌むべき戦争が「応仁の乱」だったということなんでしょう。
帝(みかど)のおられる京都市内をことごとく焼き尽くし、市民の生活が破壊された「応仁の乱」に対して京都人はかなりの恨みを持って生きてこられたっていうことですね。
京都の市街地に上御霊神社っていう神社がありますが、そこが応仁の乱の勃発地として知られています。
また、神社の前の水田玉雲堂(みずたぎょくうんどう)さんでは 「 唐板(からいた)」という菓子が平安時代から続く神饌菓子(しんせんがし=疾病よけのために神様に捧げるお菓子)として今もつくられ、売られています。
京都では割ととりあげられるお菓子ですので、上御霊神社に来られた際には是非ご賞味ください。
では、続きはまた次回に・・
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