京都人には「よそもんお断り」みたいな
排他的なイメージを持たれる方も少なからず
いらっしゃるんじゃないでしょうか。
特に「一見さんお断り」って言われたら
「感じワル~!」って思われるかもしれません。
じゃ~、京都人ってそんなに
「いけず」(=いじわる)な人たちばっかりなの~?
って言われると一概にそうとも言えないと思うんですね。
「プライドからくる自己防衛本能と相手さんへの気配り」
がミックスしてそういう表現に
なるってことじゃないかと思うんです。
やはり京都って近世まで都があったし、
国宝や歴史的文化財も多く、
外国人も含めて観光客が多く訪れるっていうことから
どうしてもプライドがあります。
そのプライドを
損なわれるような行いをされることによって
自分たちの土地や歴史や文化、
そして一番大切な生活が脅かされることに対して
自然に自己防御が働いて、
煩わしいことや危険なことを排除したいという
深層心理が他所から来られる人達に対して
現れてしまうのかもしれませんね。
「一見さんお断り」の意味
「一見さんお断り」とは
「初めてのお客さんはお断り」っていう意味ですよね~。
普通、商売人なら新規客は
「いらっしゃ~い!」っていう感じで
むしろ大歓迎ってことになるんでしょうけど、
京都の「お茶屋さん(芸舞妓さんたちと遊興するところ)」では
平気で「お断り~!」なーんて言われます。
抑揚つけた節回しで言われると
「なめてんのか~」ってつい頭に血が上りそうになりますけど、
そこはグッとこらえましょう。
では、なんで、そう言った
「一見さんお断り」が根付いたんでしょうか?
それにはワケがありまして、
「贔屓客(ひいききゃく)をまずもって一番大切にする」
っていう商売上の常套手段、知恵から来てるのが第一点。
なぜなら、「お茶屋さんで遊ぶ」っていうのは
結構料金もかかりますよね。
もし、はじめてのお客さんが
「遊ぶだけ遊んで料金を払わない」って
いうことになったら大変です。
その点、いつも遊んでくださって
料金もきっちり払って下さる贔屓客は安心です。
なので、そういった贔屓客に
何度も足を運んでもらえれば
(つまりリピータ―してくだされば)
新規のお客さんにわざわざ来てもらう必要が
無いわけなんですよね。
新規のお客さんでも
贔屓客に連れてこられたお客さんは別です。
なぜなら、贔屓客の信用や面目においても
新規客がお金が払ってくれないってことがないからです。
困ったことが生じても
贔屓客がバックについているので安心度の度合いが
まったくの新規客とは違うってことなんです。
いざというときには責任をとってもらうこともできますからね。
そして、新規客も一度遊ばれれば
次回からは一見さんではなくなるわけですし、
足繁く運んでくださると新たに太い贔屓客になっていきます。
「一見さんお断り」っていうことが広まると
贔屓客にとってはプライドがくすぐられて
気分がよくなる事は想像できますよね!
自分たちは特別やっていう意識になりますし、
また、新規客が土足ですき放題されることがなければ、
自分たちが自由な時間に
自由に遊ぶことができるわけですからね。
なのでお茶屋さんにとっては
お得意さんとしてありがたい、
固い贔屓客となって店を支えてくださる・・
贔屓客にとっては
「俺達がこの店を支えてるんや」っていう
気持ちの面での優越感が働いて
更にお茶屋さんに通う事になるんですね。
店とお客さんのまさにWINWINの関係です。
「おたくの宗旨なんどす?」の意味
京都に引越しされてきた方が
近所付き合いで一番最初に聞かれる
「おたくの宗旨なんどす?」の意味。
ここにも京都人の自己防衛本能と
うまく世間と付き合っていくための
処世術のようなものが垣間見れますね。
つまり、それぞれの家の宗旨、
先祖代々からの宗教を聞いておくってことは、
京都の中で共同生活を円滑にしていくためには
必要なことだという意識が京都人の中に
強く根付いているっていうことです。
たとえば、浄土真宗を宗旨とされている
近所の家に不幸があった場合、「御霊前」と書いて
不祝儀袋を出すと大変失礼に当たりますし、
禅宗を宗旨とされているご家庭に
南無阿弥陀仏なんてい言うとこれまた
トンチンカンなことになってしまいます。
他にも神道やキリスト教など、いろんなその家として
大切に受け継がれてきた宗旨があるので、
それをまず知った上でお付き合いすることが
無用なトラブルを回避する知恵だということを
京都の方はよく認識されているってことです。
なので、後々聞きにくい宗旨のようなことを
引越しされてきた最初のうちにたずねておくのです。
それは、自分が恥をかかないタメでもあり、
その家に不愉快な思いをさせないための
心遣いでもあるんですね。
さて、「一見さんお断り」と「おたくの宗旨なんどす?」
についてお伝えしました。
パッと聞いた印象では
「いけず(=いじわる)」っぽい話でしたけど、
実はその奥には京都人の持つ深い思いやりがあるんですよね。
つまり、「一見さんお断り」では、
「はじめてのお客さんに対して
精一杯努力しても楽しんでもらえない可能性がある」
ってことを暗に示しているということです。
芸舞妓さんが、一生懸命
お客さんに喜んでもらおうと尽くしても、
当のお客さんの喜ぶ、気に入ったサービスが
提供できなければ、芸舞妓さんにとっても残念です。
ましてや高いお金を頂戴するんですから、
プロとしての沽券にもかかわりますし、
変な噂が流れても困りますからね。
なので、
「そのお客さんが満足していただけるサービス」が
わからないうちは一見さんに対して
やや警戒感があるというのも背景にあります。
なので、はじめてお茶屋さんで遊ばれるときは
贔屓客と一緒に訪れることが肝要になるんですね!
それは、芸舞妓さんが困っている時に
その一見さんの喜ぶ嗜好を
贔屓客から聞き出すことができるからです。
「お宅の宗旨なんどす?」も先に述べたように、
葬送のときなどに相手に不快感を与えないための
知恵でもあるってことですね。
なので、一見いじわるっぽい京都人の印象ですが、
よくよく考えてみたら、そこには深い思いやりと
心配りが隠されているっていうことが
お分かりいただけたと思います。
それでは、引き続き
京都へ観光で訪れる際、軽~く知っておきたい京都と京都人⑤をお楽しみに!
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