さて、みなさんの中には
「京都は好きだけど、京都人は嫌い」
っていう方がいらっしゃるんじゃないかと思うんですが、
あなたはどうですか?
実は、京都人って言っても一括りでは言えない・・
これまた「複雑な京都人の感情」ってあるんですよね。
どういう事かと言いますと、
生粋の京都人の中には
「三代住んで京都人」っていう言葉があるんです。
つまり、
「昨日今日引っ越して来たからといって京都人づらするな」
っていうことですね。
これは皆さんにとってもそうじゃないですか?
だって、同じ町内会で先祖代々から住んでいる人と、
ここ1,2年に引っ越して来られた方とでは
付き合いの仕方って違いますよね。
さらに、京都では特に
「山鉾町内会」の住民でないと京都人とは認めない
っていう空気が今も残っているように思います。
勿論、そんなことを口に出しては言いません・・
言いませんけど・・
八坂神社のお神輿が通る区域内と区域外では
同じ京都人と言っても微妙に異なる空気感を感じます。
そういう伝統ある京都の人々にとって、
大敵なのは火事と他の地域から来た荒くれ者どもです。
特に火事は戦火のとばっちりもありますけど、
密集する木造家屋から失火すれば瞬く間に
火の手は京の街に燃え広がります。
京都では出火した家の者は
ボロ布一枚だけ体にかけて、裸足で
延焼した家々を謝りに歩いて回らなければならなかった
っていう話を聞きます。
それほど、火事っていうのは
京の人々にとって憎むべき人災であったということですね。
また、幕末もそうですが、とにかく京は都でしたので、
いろんな実力者が京にのぼって天下人であることを
誇示しようとした歴史があります。
なので、応仁の乱はじめ、安土桃山時代、
そして幕末など、京は騒乱の地になったんですね。
そうなると必然的に一番迷惑を被るのは京に住んでいる人々です。
騒乱が起こるたび、家や田畑は踏み荒らされ、
略奪強盗は日常茶飯事だったでしょう。
京の人々が「よそ者」を嫌う傾向は
そういった歴史に根ざしていると考えてもいいかもしれません。
今でも京の人たちには
「気をつけてはよお帰りやす」っていう挨拶めいた言葉があるようです。
この言葉の意味するところは
「新選組に見つかったら何されるかわからんから、
出歩くのはほどほどにはよ家に帰ったほうが身の為ですよ」
ということなんですね。
勿論、今の時代に新選組はいませんけど、
私も新選組も京都の人にとってはよそ者にはかわりないってことです。
でも、近年に入って、観光都市京都がクローズアップされるに従って、
京都人のそういった風習や気質もだいぶ様変わりしてきました。
なんといっても「よそ者」を毛嫌いしていては
商売が成り立ちませんからね。
今や、外人さんも含めて、
京都の街を活気づけているのは他ならぬ「よそ者」の我々です。
そのことは、古い世代から代替わりし続けている
京都の人々にとっても心の内では認めていることであろうと思います。
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